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2009/12/07 01:15
私は、タケシさんが、おそらく自分でもそれと意識しないまま繰り返しているのが、ほかでもない「いないいない、ばあ」遊びであることに気がつきました。精神分析医のフロイトの著作に、『快感原則の彼岸』(1920 自我論集 ちくま学芸文庫)というのがあるんですが、そこに示されているのは、母親の不在がもたらした寄る辺ない現実に、取り残された子供がいかに対処するか、という具体例です。そこで子供は「細紐を巻き付けた木製の糸巻」を母親に見立てて、それを消したり、出現させたりすることによって、自分の置かれた状況を「再現」するのです。そして、その「子供の遊戯」は敢えて不快を目の前に「再現」することによって、それを克服することを目指したものなのです。私は「紐」と「再現」という事実から、すぐさま『Dolls』(2002)を連想したわけですが、『菊次郎の夏』(1999)でも『アキレスと亀』(2008)でも、要は母親に棄てられた自分の寄る辺なく不快な状況を、遊戯や絵画の制作にのめり込むことで克服しようとする話なわけですよね。そもそも、そうした《姿を消すことと姿を現すことで成立する一組の遊戯》というのは北野映画の随所で現れる、ほとんど「致命的」な、だから「イノチガケ」な主題なんです。 |
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