北野武を柄谷行人によって解明する 塚本虎市

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<<   作成日時 : 2009/07/05 19:26   >>

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まず私が北野武に関連して注目したのはふたりの人物です。木下藤吉郎と北村透谷。奇妙な一致ですが、三人とも名前の頭文字がT・Kなんですね。木下藤吉郎というのは「秀吉」のことですが、同居する女性がいうには、タケシさんをみていると、「秀吉」というのはまさにこういう人ではなかったかと確信せずにはいられないようなところがあるというのです。どうやらタケシさん自身が映画化の構想を持っているようですし、秀吉に似ているとか、あなたの前世は秀吉ですとかいわれてもあまりうれしくないようですが、やはりオイラは芸能界でまぎれもない「下剋上」をやったという自覚からいってどうしても意識せずにはいられないようですね。ここらあたりは、「不快な」対象であるがゆえにこそ、それに惹き付けられずにはいないという、タケシさんの性格がよく出ているのではないでしょうか。同居する女性は端的に底知れない「自己チュウ」(エゴイズム)と見た目の「グロテスク」を両者の共通点として私に指摘しましたけど。映画では秀吉を遠景に置いて相対化しながら、むしろ群衆に焦点を当てようとしているみたいですね。

 もうひとりは日本では案外知られていないようですが、私の国では日本ではじめて平和運動をやった人として知られている北村透谷です。ここで、つまらないことをいわせていただきますと、(ジャン)コクトーとトウコクってなんとなく名前の響きが似てますね。キリスト教の宗派で「クエーカー」と呼ばれる人たちがいるのですが、彼はそれに属して「平和」という雑誌の編集に携わりました。北野武の『Dolls』(2002)をみて、私がどうしても透谷を連想せざるを得ないのは、それがまさに透谷のいう「野暮」そのものだからです。実際、私のそばで鑑賞していた女の子たちも、「これってダサクない?」とかいってましたし、公開当時の大方の映画評論家たちの反応もそれと大差ないものでしたよね。たしかに一見すると「今時」とかけ離れた話のような気がしますし、こんな「男の独善」になんか「もう付き合ってられない」という意見も、まあ「正論」ではあります。
 
 ですが、私のように北野映画をずっとフォロウしてきた人間にとっては、「それ」が『BROTHER』(2000)で「戦争」が行われたあとに来たという事実が殊の外重要になります。ちなみに透谷は日清戦争の年(1894)にみずからを「宙に吊って」自殺しました。私は『Dolls』(2002)での、さわこの「精神病」をその「戦争」がもたらしたものとして解釈しています。さわこは「沈黙」の人です。それが最後になって「笑いと泣き」の表情を対面する松本の前で「作る」、いってみれば、それはぎりぎりの地点でさわこの発した「言葉」(ヒステリー)なのです。この「沈黙の邂逅」(Quaker meeting)に私はまさに震撼させられました。そこからのふたりは、あたかも「聖霊」によって動かされているかのように、霊妙な存在と化します。そして、おそらくそれが「メタフィジカル」としての「人形」の意味なのだと思います。『Dolls』とはまさに「形而上学の夢」なのです。これは私の同僚である塚本虎市君の説ですが、そこでの、さわこの「言葉」こそ、まさに「使徒の働き」(The Acts)なのだそうです。実際、最後に現れる暁の宙吊り、その「二つ折り」なども、「憲法九条」を連想せずにはいられないものですよね。一見すると非常に作為的であるものが、実際には「他者の言葉」との邂逅から生じているのだとしたら、私たちは「それ」をかのイマニュエル・カントに倣って、「自然の狡知」と呼ぶべきなんだと思います。

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