民衆に気をつけろ

 デモス(民衆)、怒り心頭に発する    
  ―民衆を忘れるな、あるいは民衆をなめんなよ―

われら下根の者は、須らく「コマネチ!」の門を叩くべきである。というのも「コマネチ!」こそが、われわれが「資本=ネーション=ステート」の三位一体を解明するために必須の、「下品の器」(柳宗悦)にほかならないからである。たとえば、「法の精神」で、モンテスキューが中間諸身分や中間諸権力を、すなわち「中間団体」を取り除けば、たちまち「専制国家」や「民衆国家」が現出するというとき、そうした認識は同時に、複数システムとしての「武」を取り除けば、「みやび(一系)」に帰着するほかはない、というわれわれの現況をも正確に言い当てている。しかるに議会やジャーナリストのみなさんは、あたかも「武」がそうした「民衆国家」の元凶であるかのような風説を流布することによって、「資本と国家」による徹底した「社会」の取締りにひたすら貢献することしかできない。「武」を憎悪する政治家や「メデイアお抱え」の言論人たちがどんな意見を持ち、どのように考えていようと、複数体系としての「武」を斥けるかぎり、彼らは事実として、「みやび(一系)」に閉じ込められるほかはないのである。まさに「それ」ゆえに、われわれは、「強い視差」につきまとわれた「武」について、弛みなく認識すべきなのであり、議会のみなさんが、「武」を「暴力的」などとして非難する一方で、議決による「強制力」(force)の行使というみずからの有無を言わさずあからさまな「暴力」行為には無自覚なまま、あるいは頬被りして、その選民意識に居直り、われわれ「民衆」の言葉に耳を傾けないというのであれば、われわれは大挙してあなた方のもとへ押しよせ、「コマネチ!」(流動性)の何たるかを、あなたがたに是非とも「注入」せずにはおかないであろう。


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